親と子が、障がいを重荷にしてしまう前に

株式会社Noseつばめ療育館
親と子が、障がいを重荷にしてしまう前に

皆さんは「療育」という言葉をご存知でしょうか。「日本大百科全書」(小学館)によると、「療育」とは「心身に障害をもつ児童に対して、社会人として自立できるように医療と教育をバランスを保ちながら並行してすすめること」で、「『療』とは医療あるいは治療を意味し、『育』とは養育や保育もしくは教育を意味する」とあります。児童福祉法にもしっかりとうたわれ、療育診療や児童発達支援に携わる施設は各自治体に設置されています。

「つばめ療育館」もそんな施設のひとつです。燕市社会福祉協議会(以下「社協」)で事務局長を務めていた野瀬清一さんが、53歳で退職し株式会社を立ち上げ、文字通り一から築いた施設です。

「2008年に社協が『障がい者地域生活支援センター はばたき』の指定管理者になったとき、私はセンター長としてそこで障がいのある子ども達と接しました。おもに日中一時支援の施設として、子どもを預かることが中心でした。13年の児童福祉法の改正で療育がサービスに盛り込めるようになり、以降は療育の観点から放課後等デイサービスに切り替えました」。

野瀬さんは社会福祉士と精神保健福祉士の資格を持っています。けれど社協では長く高齢者が対象の仕事に関わっていたこともあり、「療育」という概念は野瀬さんにとっても新鮮だったといいます。

「勉強のために県内外あちこちの施設を訪問しました。特に広島市の取り組みには感銘を受けましたね。ダウン症や発達障害も、その兆候を早いうちに把握して適切な療育が行えれば、子どもたちはきっと成長できる。将来の不安も軽減できるはず。勉強にはなりましたが、一方で自分たちの至らなさを痛感しました」。

職員としてできることには限界がある。そう考えた野瀬さんは、独立へ舵を切ったのです。

「できない」がインプットされる前に

「本来、『保健』を担う行政の役割は大きい。早期発見から療育につながってくる流れがうまく機能していない。ならば自分で立ち上げよう。野瀬さんの姿勢には感動すら覚えました。協栄信組としても、児童福祉法の療育分野を扱う福祉事業所さんとのお付き合いは初めてでした」。

そう語るのは、野瀬さんが一号館である「つばめ療育館」を開設後に2代目担当として着任した岡田智本店営業部部長補佐。自身も超未熟児で誕生した子どもを持つ岡田さんにとって、野瀬さんの取り組みは興味深いものだったといいます。

「私どもの施設では、群馬県で保健師としても長年経験を積まれた町村純子先生が提唱する『まちむら式身体調和支援』を取り入れています。これは簡単にいえば、ベビーマッサージや体操によって心身の発達を改善するというものです。3歳が保育園の入園年齢。それまでに利用につながれば、集団生活が過ごせるような心身に整えることも可能になるなど、改善効果は高まります。大きくなって『できない』という意識が脳にインプットされてしまう前に、身体を正しく調整しなくてはなりません」。

「つばめ療育館」では、「児童発達支援事業」として、0歳から6歳児を1日10名を定員として受け入れ、作業療法士や言語聴覚士が中心となって子どもたちを生活しやすい身体に整えます。「放課後等デイサービス事業」でも10名を受け入れ、1日合計20名がこちらの定員です。職員は野瀬さんを含め21人(18年5月現在)。毎日定員はほぼ埋まってしまうということです。そこで野瀬さんは新たな取り組みを始めることにしました。「療育館」と隣接する土地に新たに「親子館」を建設、親が子どもと一緒になって半日のプログラムを過ごし、家庭でも療育ができるようなスキルを身につけてもらおうというものです。

早期支援を可能にしたい!

「保育園に行けない状態で保育園児になっても、それは子どものためにならないですよ。それよりもここに来ればいいんです。そうすれば義務教育までにきっと何とかなります」。

そう強く語る野瀬さん。「親子館」建設にあたり融資を担当した岡田さんも野瀬さんの言葉に感銘を受けたといいます。

「ひとりの親として、野瀬社長がおっしゃる言葉はすごく説得力がありましたし、私のなかにすっと入ってきました。そして例え子どもが障がい児とされても、プロがしっかりと支援すれば、将来の展望が開けるという部分にも強く意義を感じました。上司に上げる稟議書でも、その部分を私としては強く押しました」。

18年5月、「親子館」は無事開設を迎えました。広い体育館のようなスペースにはバランス感覚を養う遊具がたくさん置かれ、親子で半日を過ごす部屋も快適そうです。

「障害があると認定されなければ通所ができないと言うのは、やはり1つの壁ですね。当館も通所には市町村が発行する『通所受給者証』が必要です。利用料の9割が税金で補填される以上、医師の診断が必要というのはわかります。しかし例えばたくさんの子どもを診なければならない特定健診の場などで、発達の遅れがきちんと見抜けるのか。子どもがある程度の年齢になれば、例えば自閉症などと診断できるでしょう。けれど小さいうちはその判断が難しい。結果として早期支援が行えず、可能性を狭めてしまう。結局、世の中は行政が動かなければ変わりません。システムが変わらない限り、犠牲者は子どもであり親であり続けます。ただ、行政は市民の声で変えることができる。それもまた間違いないことです」。

安定した社協の職員を辞して挑んだ療育の場。少しでも多くの親と子の未来のために、野瀬さんは活動を続けます。

 株式会社Noseつばめ療育館ウェブサイト

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